平成の30年が変えてくれたこと

昭和44年3月生まれの私は、約20年を昭和で過ごし、約30年を平成で過ごして、現在令和の始まりに接しています。
私にとって平成でどんな変化がうれしかったのか、感謝を込めて振り返ってみました。
あくまでも私感です。
1. タバコを吸う人が激減した。
昭和の時代、男子は大人になったらタバコを吸うモノでした。
いつでもどんなところでもとにかくみんなタバコを吸ってました。
路上、電車の中、車の中、会議室、レストラン、学校、家の中それこそどこでもでした。
建物の中は、白い煙がもくもく、壁はヤニで黄色くなっていて、道は吸殻だらけ。
中学生の時、友達らとスキーに行くことになりました。
スキー場に向かう電車は大混雑で、私たちは立ったままドアの付近で寿司詰め状態。
閉め切られたその状態で、目の前の大人が周りを気にすることなくタバコを吸いだします。
電車の床でタバコの火を踏み消します。床は焦げ跡だらけです。
煙と臭いとですぐに気持ち悪くなりました。それが2時間続きます。
つらかったあ。本当に嫌だった。
そんな、つらくて嫌いだったタバコを高校生の終わりに吸い始めました。
みんな吸っているからなんとなく。
煙くて、まずくて、苦しいのを我慢して。
いつしかどこでもタバコを吸って、どこでも吸殻を捨てて、
大嫌いだったタバコを吸う大人と自分も同じになりました。
平成になって、アメリカのビジネスマンはタバコNGなんて記事が出始めて、
最初はその意味が全く分からなかった。
だけどそのうち平成が深まるにつれてタバコは徐々に悪者になって、
禁煙パイポのCMが話題になったりして、
私も平成13年くらいに何度目かの禁煙でタバコを止めることになりました。
やめてみて本当に良かった。
私が、煙や臭いで誰かを嫌な思いにさせることはなくなり、ポイ捨てもしない人間に34歳にしてなれました。
嫌だと思ってた人はいっぱいいたんだろうな。
それから平成の社会はどんどんタバコを隅っこに追いやり、
今やタバコで嫌な思いをすることはほとんどなくなりました。
平成の30年、本当にありがとうございます。
2.お酒の飲み方が変わった
昭和の終わりに大学生になり、お酒との縁ができました。
バブル期の事です。
思えば、高校生の時の初めてのお酒はかわいかった。
大学に行って初めて体験した宴席は、最初から最後までイッキイッキ。
まっずい日本酒やまっずいウイスキーをとにかく大量に飲め飲めの強要でした。
早々に吐いて倒れて、もう酒なんて二度と飲まないと思いました。
でも慣れてくるもので、だんだんと宴席の最後まで起きていられるようになりました。
後輩が入学してくる頃になると、嫌だった酒の強要も平気になり、今度はそれを率先してやっている先輩になっていました。
当時の学生がそうだったわけではなくて、大人みんなそうだったのだと思います。
「俺の酒が飲めねえのか~っ」って本当に言う人がいっぱいいました。
嫌だと思ってた人はいっぱいいたんだろうな。
急性アルコール中毒の犠牲者を何人も出してから、ようやく。
平成の終盤にはそんなお酒の飲み方をしなくても良い環境になっていました。
今はおいしいお酒を自分の適量で楽しめます。
平成の30年、本当にありがとうございます。
3.飲酒運転が激減した
昭和の終わりごろ19歳で自動車運転免許を取得しました。
その頃だって、飲酒運転は当然法律違反でした。
だけど、お酒を飲んでも運転していました。
かなりお酒を飲んだ後に、100km位の距離を運転して、その間ところどころ記憶がないなんてことも。
それが24歳。
警察の飲酒検問に引っかからなければそれでよいと思っていました。
お酒を一滴でも飲んだら代行運転をお願いすることが、ちゃんとできるようになったのは、33歳を過ぎたころです。
平成14年(2002年)に罰則が厳しくなったからです。
その間、事故を起こさなかったのは偶然です。
平成18年(2006年)に福岡で子供3人が犠牲になるという悲劇があって、さらに厳しい罰則ができて、ようやく、日本中に飲酒運転は絶対ダメだという環境ができました。
嫌だと思ってた人はいっぱいいたんですね。
今はみんながルールを守っています。
ここまでになれば、私が飲酒運転で誰かを傷つけることはないでしょう。
平成の30年、本当にありがとうございます。
4.セクハラが認知された
平成30年の年末のニュース
“平成最後”の流行語大賞となった今回、トップテンの一つに、セクハラや性暴力被害に対して当事者が声をあげ、連帯する運動「#MeToo」が選ばれた。 奇しくも今から29年前、1989年に贈られた“平成最初”の流行語大賞で、新語部門・金賞に選ばれた言葉は「セクシャル・ハラスメント」だった。
・・・だそうです。
ということは、平成の30年間でもセクハラはなくならなかったということです。
私が社会に出たのが、平成4年。
このころにはセクハラという言葉は認知されていました。
でも、初めて体験した社会ではセクハラは普通に見ることができました。
当時の先輩方には、平気で同僚女性のお尻を触る人が確かにいました。
すれ違いざまにチョイっとお尻を触る男性氏。
女性「もう、○○さんいつもいつも、やめてよね(軽く怒)。」
男性氏「いいじゃん、減るもんじゃなし。」
これがテンプレートで、社内で本当にこんなやり取りがありました。
この文化になじむには、偶然間に合わなかった私は、ただ下品なやり取りに見えて嫌でした。
やはり、嫌だと思ってた人はいっぱいいたんですね。
それらがセクハラだと認知されました。
平成が深まるにつれて、セクハラの認知も深まりました。
平成が終わった現在、私が見ていたようなあからさまなセクハラは見ることはなくなりました。
しかし、職場からセクハラが無くなってはいないようです。
セクハラの認知が深まり、教育の機会が増えたのが平成の30年。
セクハラをなくしていくのは令和の時代の課題です。
5.パワハラが認知された
マリー=フランス・イルゴイエンヌ「モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする」が日本でも出版されたのが2003年(平成15年)。
ちょうどそのころ職場内での様々な葛藤の渦中にいた私は、この本に出会いました。
身内である上司たちからの受け入れがたい理不尽の数々と同様の事例が、この本の中にあふれていました。
わかったことは、目の前の事態がモラルハラスメントというハラスメントだったということ、世界中で同じように苦しんでいる人たちがいることでした。
目の前で起こる事態を受け留め切れず、心の限界を超えて身体にも変調をきたし、まったく先の見えない状況に、一筋の小さな出口が見えた瞬間でした。
自分の状況が認知できたことで、視界が開け克服への歩みを始められました。
その後、日本ではパワーハラスメントという言葉で、認知が進みました。
20年近くたって職場での対応が必要だという認識が広まったのは、本当に良かった。
マスコミは「この10年でパワハラの相談件数が右肩上がりで増え続けている」とニュースを流していますが表現が不正確です。
「この10年でハラスメントとしての認知が進んだ結果、ようやく声を上げ相談できる環境になってきた」が私の実感です。
パワハラは増えているわけではないです。
私が平成4年に社会に出たとき、子供の世界より子供じみた大人の有様に絶望を感じました。
ほぼすべてのコミュニケーションが、今ならパワハラという世界でした。
あまりに、それが普通のこととして受け入れられていたので、誰もなにも言えなかっただけだと思います。
自己承認欲求を他人に依存する人たちは、自分に自信がなく他人を貶めることで自己肯定感を保とうとします。
それがキレたり威圧的であったり暴言だったりの正体です。
まさに子供です。
その自覚はありません。
そんな幼稚な大人だらけの社会が、嫌だと思っている人はいっぱいいたんですね。
モラハラ、パワハラの認知はどんどん進んでいます。
スポーツの世界など新陳代謝の早い組織から改革は進行中です。
中小企業は新陳代謝が遅いのでなかなか進みません。
ですが、威圧的だったり、理不尽だったり、そういう人の居場所はどんどんなくなります。そんな環境が無くなるのは令和の時代の課題です。
6.犬の糞がなくなった
最近、路上でまったく犬の糞を見なくなりました。
実に快適です。
1969年(昭和44年)生まれの私は、昭和の時代に小中高で学生生活を送り、大学生の時に平成を迎えました。
小学校、中学校の時には徒歩で通学をしていましたが、学校までの2㎞の間は犬の糞だらけ。
数メートル間隔でいくつもいくつもです。
私の家は、公園の近所だったこともあり家の前の道路は特にひどかった。
ぼーっと歩いて踏んづけることもしばしば。
そんな日は、汚いし臭いし、一日中気分が悪かったな。
嫌だと思ってた人はいっぱいいたんですね。
そりゃそうです。
室内犬が増えるなど犬の飼い方や散歩のマナーが激変した結果、
路上や公園から犬の糞がなくなりました。
この変化には20年もかからなかったように思います。
平成の30年、本当にありがとうございます。
7.立小便がなくなった
最近、立小便をする男性をまったく見なくなりました。
実に快適です。
1969年(昭和44年)生まれの私は、昭和の時代に小中高で学生生活を送り、大学生の時に平成を迎えました。
小学校の帰り道、毎日どこかに立小便をしていました。
ブロック塀だったり、ドブ川だったり、桑畑だったり、所かまわずです。
迷惑だとも、格好悪いとも思っていなかったです。
犬がおしっこをするのと同じです。
子供だからじゃないです。
大人もみんなです。
平成4年から働きだしましたが、
その頃まだそういう光景は良く目にしてましたし、
車で移動中など我慢できなくなってやむなくどこかで立小便なんてことはよくありました。
立小便される方、立小便するところを見てしまう方とも嫌だったでしょうね。
平成の中頃にコンビニエンスストアが激増しトイレのインフラが劇的に向上してから、
まったく立小便をしなくてよくなりましたし、目にすることもなくなりました。
人間が犬みたいでなくなりました。
実に快適です。
平成の30年、本当にありがとうございます。
8.日本がいい国だと言えるようになった
インターネットが普及してくれたおかげ。
平成が始まるころの、バブルで日本経済世界最強の時でさえも、
日本が良い国だという声は聞かれなかった。
自分たちで日本は良い国だというのははばかられる空気があった。
高校の卒業式で国歌を歌わない教師は普通にいた。
テレビ新聞で目にする日本は悪い国、ダメな国だった。
自分の国を悪く言うことにずっと違和感を感じていたけど、口にできずにいた。
私に変化があったのは、2002年(平成14年)のW杯サッカー日韓大会の時から。
その頃からインターネットでは、私の疑念を覆してくれるような情報に触れられる環境が整ってきていた。
15年くらいネットや本でむさぼるように情報をあさりました。
結果、現代にいたる歴史の認識が全部裏返りました。
残念ながら昭和に触れたマスコミや教育からの情報は全部嘘だった。
このような私は、ネトウヨとレッテルを貼られる対象そのものなのかもしれません。
日本を好きだと普通に思えるようになるまでに、膨大な時間と量の情報に触れました。
そういったことが可能になったことが平成の30年間でのうれしい変化です。
日本は良い国だとみんなが言える環境になりました。
平成の30年、本当にありがとうございます。